憧れの地に住む!

ドイツ・ベルリンでのワーホリライフについて

How to be polite

イギリスと言えばイギリス紳士。という言葉があるように、イギリス人は礼儀正しいとよく言います。個人的な感想ですが、その理由は、宮廷文化が長く、その影響が現在においても(スーパーの種類にさえも!)現れているからではないからでしょうか。

ということで、今日はイギリス英語と日本語における「丁寧さ・礼儀正しさ」についてです。

 

まず!「英語は日本語より直接的だから、英語で考えた方が楽だし、英語で話している方が相手にちゃんと伝えられていいよね〜」などといった文脈で話している人(むしろ若い時の私)!!!それはもはや、母国語でさえも自分が伝えたいことを的確な表現で表すことのできない語彙力・教養しかありません≒母国語以下の能力の第二外国語ではいつも無礼で不躾なコミュニケーションしかできない阿呆です、と自白しています。めっちゃくちゃみっともないのでやめましょう控えましょう。母国語のレベル以上に、人は他の言語を使えません。まずは語彙を増やせ。

イギリスはシェークスピアの、ディケンズの国です。世界的に評価される文学を、他国同様産み出し続けている国です。「板挟みにされている」なんて表現、あるに決まってるじゃないですか。曖昧な気持ちや状況を表せないのは、話者の言語における知識不足だからです。

 

 

まずは会話を作ることが第一歩

Would you mind if I change my order? Is there any chance that I could have the table by the window? I would appriciate it if you could send me the reports as your earliest convenience, could you? Could I ask you......

これは日本語も同じかと思うのですが、「〜してもよろしいでしょうか」「〜しても差し支えないでしょうか」型。何か他人に対して要望を伝えるんだから、Pass me the salt, please!ではなく、まずは会話しようぜ、というスタンスです。

 

回答者に自分のことを自由に表現する自由を与えることこそが丁寧さ。カテゴライズするなんて以ての外!

「お仕事は何をしているのですか?」(What do you do?, What is your job?)

といった質問、よくされます・しますね。こちらを丁寧にいうと、

Would you mind if I ask your job?

Could you tell me what you do?

などありますね。間違いではないです、全然間違いではないです。むしろめっちゃ使う。

ですが、型は丁寧でも明らかに「仕事=job」のことを聞いています。

それが、最上級の丁寧さになるとこちら。

What do you do for a living?

もしくは

What line of work are you in?

突然聞かれたら「何を聞いてるんだ…?」と困惑しそうです。意訳すると、「どのように生計を立てていますか?」「どちらの仕事に従事していますか?」となるでしょうか。

jobというとoccupation感が増します。主婦の人だっているし、理由があって無職の人もいる。どのように生計を立ててもいいし、見ず知らずの他人にベラベラ言いたくない、という人もいる。いやいやキャリアこそ全て!XXでシニアコンサルタントをしていることが自分の誇りだから、よくぞこの質問を聞いてくれました!という人もいる。どのパターンにも合わせられるし、質問者は相手をカテゴライズしていないし、想定もしていない、ということが、礼儀正しさに繋がるそうです。

相手の立場や状況によって、自分の立場や使う言葉を変える日本語とは、まぁ発想から違う!(ちなみにドイツ語も日本語的な発想です。)

回りくどく、長く複雑に言って丁寧さを出そうとする日本的発想もあるのですが、スマートではないですね。あと単純に長いし。それと、これは“現代イギリス英語(日常会話)”においての丁寧さなので、時代や王宮でどのような英語が使われているかは知ったこっちゃないです。笑

 

「丁寧にする」という方法で、日本語と共通しているなと思うのは、文全体を曖昧にする、というところでしょうか。ただ、日本語では曖昧にしたので意味が通じなかった・違う意味で取られてしまった、ということもありますよね。英語だと、相手に話す自由を与えたので、聞きたいことには答えてくれなかった、ということとになるのかもしれません、知らんけど。

f:id:natalie723:20191015035100j:plain

語学(語彙)との奮闘は一生続きます。