憧れの地に住む!

ドイツ・ベルリンでのワーホリライフについて

日本の英語教育と私

選挙が終わりました。3ヶ月以上の長期で日本を離れる人はよく確認しておいたほうが良いと思うのですが、住民票の転出手続きをした場合、滞在先で日本の選挙権を保持し続けるには、大使館での手続きが必要だそうです(各国で違うと思うので各自確認してください)。そもそも先進国と言われる国でも女性に参政権が与えられたのは、およそ200年前です。先人たちが不断の努力をして勝ち取った参政権、使いましょう!

 

 

さて前回のエントリーに関連していますが、今回は日本の英語教育と私、について。

結論から言うと、私は、日本の英語教育で学んだ英語が本当に邪魔だ!と思いつつも、構造的にちゃんと学んだからこその「信用される第二外国語としての」英語のベースが身についていると思います。

そしてそのベースとなる、母国語力。そして第二外国語としての英語の広がり方についても触れたいと思います。

 

 

  • 100%純日本製英語

 何度か書きましたが、ドイツでのワーホリが私にとって初めての長期海外滞在でした。その前に、ロンドンでのセミナー参加、各国への個人旅行(いつも2週間程度)やオーストラリアでの語学学校、ロシアで開かれた学生会議などに参加しつつも、私の英語は全て「日本国内で日本語で学んだ英語」+自助努力、で構成されています。

 

スペイン語の通訳をしている母と対照的なザ☆ドメな父。幼い時から日本語以外の環境にすぐ馴染める身だったにも関わらず、英語自体に興味が出たのは、中学の時に帰国子女の友達がいたこと、その時に「洋楽」「洋画」と言うジャンルを知ったことでした。プラス、私は理系と呼ばれる全般のものが苦手なので、やれば伸びる英語に自然と手が伸びました。つまり、普通の中高生と何一つ変わらない環境でした。ただ、英語に興味があったし、好きだった。から頑張った。

 

ここまでは良いのですが、「日本国内で日本語で学ぶ英語」を頑張ると何が起きるでしょうか。そうです、和訳が上手くなるのです。特に私は国語(古典)を一度もほぼ勉強したことがなく、綺麗な日本語での文章が自然にできます。それは、小さい頃から本を読んでくれた祖母・母の影響があります。日本語のストーリーテリング、語彙についても自然に会得しました。

 

  • 「私の英語は英語ではないのでは?!」

いわゆる「帰国子女じゃないのに英語ができる」と言うポジションになって久しかった私に転機が訪れました。高校1年生の時に行ったロシアで開かられた学生会議です。話しているのに、伝わらない。ペースについていけない。誰も私の話を聞いてくれない。

そうです、日本語がベースとなっている英語だから。「あれ?これ大丈夫かな?」と思った時に無意識に脳内で翻訳しているから。これに気づかず、私は高校生活を終えます。ただ、私の高校は進学校だったため、高校2年の終わりには文法は全て頭に入っていましたし、使えるようになっていました。

ここから、「使える英語」をどう自分でカスタマイズするか、という孤独で息の長い戦いが幕を開けます。TEDを1日1本見てシャドーイングする、検索は両言語でする、英語のpodcastBBCニュースを垂れ流す、英語のディスカッション社会人サークルに行ってみるなどなど。思いつくこと、目にしたやり方は全て実践しました。でも、何かが決定的に足りません。

 

 

  • 論理的質問力;言語によって話の進め方が違う

ほぼ英語力(とオタク的性質を存分に生かした世界史マニアック力)で、受験を戦略的にクリアした私は、学部の英語コースをadvanced courseを選択します。

そこで課題だったこの本。

Asking the Right Questions

https://www.amazon.co.jp/Asking-Right-Questions-Critical-Thinking/dp/0205111165

大学卒業後X年。いまだに持っている数少ない教科書の一つ。

比較的平易な英語で書かれているので、大学1年生の私にも読むことはできました。でも、「理解」し、「自分のスキルにする」ことはできなかった。10人以下の少人数クラスで、先生も懇切丁寧だったにも関わらず、思春期独特の自意識が邪魔し、大学の雰囲気に飲まれていたことも確かです。ただそんな錯乱した時期でもわかることがありました。これが、本当の英語でのコミュニケーションなんだ。みんなが話している英語はこれで、私が話している英語はこれができてないから「本当に話したい話」ができないんだ。と漠然と思っていました。一言で言うと、論理的思考力が皆無だったのです。そして悲しい哉、今も大して成長できてないんです(実感値)

 

本当に話したい話、それは、どこのカフェが美味しいとかではなく(それもいいのですが)、今までの自分の過去や家族、これからの話。そして経済や政治、仕事観などなど。

 

とはいえ、大学でAdvancedのクラスに入れていること、雰囲気の英語ではなく言語を構造的に理解する力は「日本語で教えられた英語」を完遂したから得られたもの。ただ、自然に翻訳する癖は強く残ります。それだけ私の日本語力が強い。当たり前です。第二外国語ですし、私もネイティブではない英語話者の友達と話す時に、相手が疲れてくると「お、イタリア語から翻訳したな」と思うことがあります。

いいのです、友達なら。でもビジネスではどうでしょうか。その一瞬の「間」「違和感」は不信感や自信のなさにつながるとベルリンでの面接で思いました。

 

 

  • らしい英語、自然な英語は自分でもできる。

話は少しずれますが、1年強のドイツ生活でしたが私の生活は8割英語でした。ルームメイトとも英語、友達も英語。だからこそ、瞬発力、自然さ、ジョーク、押しの強さ、語彙力、検索力、速読力は自分で伸ばせたと思います。だからこそ、「あぁ大学の時のあの授業の内容が身についてないなぁ…」としみじみわかるのです。考え方は知っているかもしれないけど、実践できてないからよりわかる。逆にその時に立ち返ることができたから、やることは決まっているともいえます。この違和感を残したまま、人生が終わるのは嫌ですから!

 

私は日本の英語教育に関しては、両手を上げて素晴らしいといえないにしても、質が高いと思います。(そもそも、基本的に日本の義務教育で提供されている内容は高いと思います。)そのため、日本での英語教育で通用する英語を身につけることは十分すぎるほど可能です。確かに、周りに日本人しかいないから使おうというモチベーションが湧かないというのもわかる。でも、私の時は毎月発行されるSCREENでしかわからなかった海外の俳優の情報もすぐyoutubeや他SNSでわかる時代。モチベーションを上げる手段や楽しく英語を身につける手段は転がりまくっていると思います。

 

そして、ドイツ語を学んでいる身として、ドイツでドイツ語でドイツ語を学ぶ・使うのが1番良いのはわかるのですが、帰国後それができないと「英語で」ドイツ語を学ぶ方が手っ取り早いです。今は、Deutsch WelleというTV局が行っている王道ドイツ語学習ツールを使ってドイツ語力を下げないようにしています。

 

learngerman.dw.com

 

英語でドイツ語を学ぶのはあまり感心しない、とドイツ人の先生が言っていました。それはその通りですが、実際、日本語でドイツ語を学ぶことの遠回り感!だってドイツ語も英語もゲルマン系の言語だもの!そして何より教材のなさ!!!なので仕方ないです。他言語を学ぶ時も然り。そもそもインターネットにある日本語のソースは約10%らしいです。では、日本語でアクセスできないものにアクセスするには?他の言語使うしかないです。私の場合は乗り掛かった船で英語を使うしかないですが、母はスペイン語です。なので、自身があっていると思う言語を使えばいいと思います。

 

 

 

 

最後に独り言。

実家→ルームシェア(国内)→実家→ルームシェア(ドイツ)でいつも誰かと住んでいた身としては、一人暮らしは本当に慣れない!むしろ、合わない!笑